ナナ [日記]
平成29年11月28日火曜日、ナナが虹の橋を渡りました。
15歳、孝行猫でした。
本日四十九日となり、ご報告することにしました。
本日は今までの暮らしとナナへの想いをつづりたいと思います。
今までの暮らし、ナナと娘の成長の記録として5分14秒のビデオを作成しました。
本文は長文なため、もしお時間をいただくことが叶うならビデオをご視聴ください。
いろいろと悔やむことが多いです。
娘の誕生を境にブログを再開できないままこのご報告に至りました。
ナナの写真を撮るたびに、こんな記事、あんな記事、と構想し、終わりました。
なにより、育児に追われ、ナナとの時間が激減したこと、悔やみきれない思いと現実に悲しみが消えません。
2013年2月、娘が産まれました。
2016年2月、新居を構えました。
2016年9月、パートで仕事を始めました。
2016年9月、ナナの癌、自壊。
2017年11月、ナナ虹の橋を渡る。
更新しなかった5年間、家族皆おおむね元気でした。
【2013年~2015年】
娘の出産が帝王切開と決まり、2013年2月7日から25日まで19日間家を留守にしました。
26日、20日ぶりに帰宅。
赤ちゃんを抱いて戻ってきたわたしを見て、玄関先に迎えに来たナナがびっくりした顔をしたこと、今でも忘れられません。
赤ちゃんが泣く度ナナはびっくりし、家じゅうを駆け回っていました。
寝ている最中にも赤ちゃんが泣くと飛び起き、何事?!と駆け回り、ごめんねナナ~と謝る日々でした。
徐々に慣れてゆき、赤ちゃんが泣いてもナナがびっくりしなくなった頃、本当に安心しました。
騒がしいことにかわりありませんでしたが、やれやれ、と近くで丸まる姿。
育児に専念させてくれる感謝が日々ありました。
いつも、長い時間順番を待ってくれました。
子供が寝てから、ニャオ~と甘えてきて、おしりトントン。
それは、ナナ自身が死んでしまう直前まで一貫していました。
優しいお姉さん猫だったのです。
赤ちゃんからヨチヨチ、ハイハイ、タッチ、つたい歩き、ヨタヨタと走り回る娘になるまでの間に縮まっていく子供とナナの距離感は今も写真やビデオで眺めると楽しいです。
【2016年2月】
狭く古い賃貸住宅に子供に必要なものがあふれ、先々の将来を考えるようになり新居を構えました。
250mしか離れていない距離でしたが、お引っ越しでした。
ナナ13歳、ヒトでいったら68歳、相当なストレスだったでしょうね。
水分も食事もとる・・・でも2日間おしっこが出ませんでした。
3日間出なかったら病院にいかねば・・・と思った矢先トイレに行ってくれたナナ。
とてもほっとしました。
平屋の賃貸から階段のある一戸建てへのお引っ越し、ナナにはいい運動でした。
自分の居場所が徐々に増え、時々姿が消えました。
探しても探してもいない!
冷や汗と動悸が激しくなって、大きな声で探しまわりました。
まさか??
ウォークインクローゼットを開けると、しまった布団の上で丸まっていたナナ。
開けた時にするするとついて歩き、ナナに気づかずクローゼットを閉めてしまう。
今は、ナナがそこにいたら素敵だなって思います。
越してすぐ留守にしている間に無垢材のフローリングにリバースされたナナのご飯、沁み込みすでに手遅れ、あの時はほんとにがっくりしました・・・。
今は、その染みさえも消したくない。
夜の大運動会も運動場が広くなったので楽しかったようです。
朝起きると、フローリングに滑ってついた爪あと、踏み込んでダッシュした爪あと。
もちろん、今は、そこにナナを感じます。
引っ越し前に散々憂慮したのは、壁への爪トギ対策でしたが、まったく、壁に爪立てず、新調したカーテンへのよじ登りもなく、本当に孝行猫でした。
【2016年2月~4月】
引越し準備と娘の幼稚園入園準備で寝不足と過労で多形滲出性紅斑(たけいしんしゅつせいこうはん)という皮膚病に罹りました。
子供の風邪を内科で受診した際に医師から「お母さんは体調かわりない?」と何気なく聞かれたとき、湿疹が出ていますと告げ、症状を見せると、すぐ大学病院で検査して、今紹介状書くから明日朝一番で受診しなさいと急展開。
急激な悪化だった為大学病院で生体検査をし、2日間の経過観察を診断されました。
この2日間の間に粘膜系に症状が出たらスティーブンス・ジョンソン症候群であるかもしれないとの診断もついてしまいました。
重度のスティーブンス・ジョンソン症候群であった場合は死ぬかもしれません。
医師にそう告げられた時の絶望は今でも忘れられません。
子供のことがとても気がかりでした。
幸い、重症ではないが軽傷ではない状態で、多形滲出性紅斑でした。
全身に赤い湿疹が出て3カ月近く、非常に苦しみました。
治療薬を効かせる為に免疫を下げる投薬がありました。
体温が上がると痒く、疲れやすく、眠くてもなかなか熟睡できず。
一度発症すると毎年出る人、数年おきに出る人、出ない人様々らしく、春はひやひやします。
【2016年9月19日 ナナ癌自壊】
パートで働くことを決めてから3日後、帰宅すると二階の壁が赤く染まっていた。
見回すと、ナナが右肩を必死に舐めている、血で真っ赤でした。
もともと何年も前から、左わき下に腫瘍がありました。
病院で診てもらった時、切除可能だが、足のひきつれが起こるかもしれないリスク、切除しても再発のリスクがある、完治できるとは断言できないと言われていました。
そこでわたしは、治療しないことを選びました。
動物の寿命と、人の愛情の中のエゴを考えた時、看取る時が来たら受け入れようと思ったのです。
もし、内臓に腫瘍ができると悪性の癌だが、今はそうとは言えない、腫瘍のサイズの変化に注意し暮らすようにと説明され、何年も元気に暮らし、その左わき下の腫瘍もサイズ変わらずのままでした。
右肩の腫瘍に気づいた時はすでにかなり大きくなってからでした。
本当に情けない。
育児にいっぱいで、愛猫の体の変化に気づかなかったのです。
自壊させてしまうまで、自壊という言葉も知りませんでした。
舐め壊すとさらに症状が進み悪化すると知り、その場しのぎには育児中に使っていた腹巻をナナに巻いてもらい、その後はワンちゃん用の洋服に生理用ナプキンをあて、出血で染みないようにしました。
ペットにも使える洗浄剤を用意し、日に二回、洗浄とお着替えが習慣になりました。
調べたところ、癌が自壊した場合、余命は半年から一年とありました。
腫瘍が悪性であればそうであるほど余命は短いようなので、ナナの腫瘍はそうでなかったと言えます。
癌自壊から、1年2カ月頑張ってくれましたから、そう思いたいです。
とはいえ、腫瘍は膨らみ破裂、を繰り返していき、自壊創は大きくなっていきました。
臭いもしていきます。
加湿空気洗浄機を購入し、必要以上の来客をつくらないようにしました。
ナナ自身、本当に辛い時は、服の上からペロペロと繰り返し、中のナプキンを噛みちぎっている時もありました。
それ以外は本当に、辛抱強い猫でした。
気づいたら、半年が過ぎていました。
食欲も排泄も体型も、自壊以前と変わらず元気そのものです。
子供を寝かしつけ、わたしが何もすることがないように見えると、ニャオ~と傍に寄ってきます。
毎晩、ずっと何年も変わらずそうしてきました。
おしりトントン、何十分しても、飽きずにふたりで過ごす深夜がありました。
癌じゃないかもしれない、そのうちに、この自壊創は完治してしまうのではないか?
そんな希望さえ持ちました。
育児・仕事・ナナのお世話で、あっという間に一年。
自壊創は右肩から右わき腹まで広がっていました。
洗浄することと、舐め壊しをしない為の服とナプキンのおかげでしょうか、元気でした。
体型は、さすがに病気に影響され、たぷたぷのお腹は無くなっていましたが、走り回るし、食用も旺盛、排せつもまったく問題なし。
わたしの中では、一年を越した頃から、すこし介護疲れのようなものもありました。
半面、死ぬことを思うと、お世話が大変でも、臭いがきつくても、永遠にこのまま生きて一緒に暮らしていってほしいと願う気持ちも、どちらも同じくらいの気持ちで強くなっていきました。
また、仕事の休みが日曜と火曜であったため、もしその時がくるならば、日曜と火曜自分が自宅にいる時であってほしい、とか、ほんとにもうエゴとしかいいようがないのですが思っていました。
【2017年11月 旅立ち一週間ほど前】
気分転換にと、久々にナナ専用の密室と、窓や手だけ出せそうな隙間を作ったダンボールをリビングに置きました。
入ったきり出ません。
気にいったのかな?と夕食にしていた時、ダンボールの中で香箱座りしていたナナがブルブルと震え始めました。
暖房も入っているし室内は暖かです。
今まで見たことのないその震え方、声をかけても反応しません、はやる気持ちを抑え見守りました。
しばらくすると震えはおさまり、静かに目を閉じました。
腫瘍に痛みを感じれば、ペロペロと舐めていましたがこの時は身じろぎひとつせず、香箱座りで耐えていました。
その後は普段通り過ごしほっとしましたが、階段の上り下りが力なく頼りなくなってきました。
食欲も激減してしまいましたが、ペースト状のおやつはペロペロとよく舐めてくれました。
【2017年11月 旅立ち4、5日前】
排便が無くなりました。
ショックと共にこころの準備の時か・・・、と何度もトイレを確認しました、排便がまったくなくなったあと、一度だけ排便がありとても嬉しかったのを記憶しています。
あきらかに足元がフラフラし始めましたが、意識はしっかりしていました。
【2017年11月 旅立ち2、3日前】
ニャオ、と言えなくなりました。
力弱く、ナォー、ナォー、と言うのが精一杯です。
【2017年11月27日 旅立ち1日前】
階段の上り下りはしておりましたが、二階にあったナナのトイレをリビングにおろし、わたしだけ、リビングに布団をひきナナが気がねなくわたしの布団に入れるようにしました。
あんなに足がフラフラしていたのに、最期の晩、布団に入れろ~、と布団をカリカリしてくれました。
布団をもちあげ、足を大の字に開いてあげました。
ナナはわたしの膝の内側に寄りかかり眠ってくれました。
とても嬉しかったです。
朝、布団の縁に寄りかかり眠っていました。
【2017年11月28日 火曜日】
この日は仕事が休みでした。
子供はお弁当の日。
娘を幼稚園へ送ったあと、ご近所の方と下水工事のことで話をしていました。
だいぶ弱っていたので、できるだけ早く家に戻りたいと思っていましたが、あとになれば思うことで、その時は、今日がその時と思わず過ごしています。
娘を送ったのが9時過ぎ、ご近所の方と話して帰宅したのが、10時半。
帰宅し、黄色いクッションに丸まるナナを撫でました。
頭を撫で、そのままあごの下に手を回し、「大丈夫か~」と声を掛けました。
少し気持ち良さそうな顔をして、自分で顎の向きを変えたのを見て朝のお着替えをする為に服を準備しました。
準備が整い、洗浄し着替えさせましたがもうふらふらでした。
なんとか、着替えさせましたが、そこで立っていられなくなり、体を横にしてしまいました。
とっさにわたしはペーストのおやつをとりに走りました。
ナナは横たわって、既に口を開けて息が荒くなっていました。
でも、わたしはなぜか指にペーストおやつをとり、ナナの口に運ばずにはいられませんでした。
そしてしこたま指を噛まれました。
最期の馬鹿力が出たのかも知れません。
そのあと、1、2回舐めてくれるのがせいいっぱいでした。
美味しかったかな、おやつ。
声をかけ続けましたが、息の荒さがやみ、直後に失禁しました。
ああナナが死ぬっ!て思いました。
こんな時にでさえ、わたしはラグが汚れるのを気にしてタオルをとりに走ったり、なんて愚かだったことか。
2回目の失禁の後、ナナは旅立ってしまいました。
名前を呼んでもピクリともしない。
何度呼んでもこたえない。
まって、って言ったけど、ナナの瞳には最期に何が見えたでしょうか。
息の荒かった時間はほんの数秒だったと思います、1分あったかな、なかったかな、最期の苦しみはそう長くなかったと思います。
神様、ナナを見守ってくれた何か、ありがとう。
まさか、本当に仕事の休みの日に旅立つなんて、最期まで孝行猫過ぎて嬉しくて悲しくてなんだかよくわからない気持ちに今もあります。
息を引き取った後のナナはとても穏やかな顔をしていました。
ただぼーっと横たわっているだけのような、昼寝から目が覚めたような、穏やかな日常の顔でした。
たちあがって、ニャオ~と言いそうです。
今日お仕事休みでしょ?
甘えさせて~、って言いそうです。
子供のころから犬を飼う家に育ちました、猫もその後いました。
が、最期を看取ったのはナナが初めてです。
父の最期さえも看取れなかったので、死そのものが初めてです。
とても堪えます。
まだ、今もナナが使っていたハウスや爪トギ、そのまま置いてあります。
窓についたナナの鼻の跡も拭かずにそのまま残しています。
もういいかな、と思うその日までそのままにして暮らそうと思います。
しばらく猫は飼いません。
やはりかまってあげられる時間が少ないのはとてもかわいそうなことです。
突然考えが変わるかもしれませんが、今はナナの思い出と共に暮らしています。
また、縁がわたしとナナを結ぶ日まで、その日を楽しみに生きて行こうと思います。
15歳、孝行猫でした。
本日四十九日となり、ご報告することにしました。
本日は今までの暮らしとナナへの想いをつづりたいと思います。
今までの暮らし、ナナと娘の成長の記録として5分14秒のビデオを作成しました。
本文は長文なため、もしお時間をいただくことが叶うならビデオをご視聴ください。
いろいろと悔やむことが多いです。
娘の誕生を境にブログを再開できないままこのご報告に至りました。
ナナの写真を撮るたびに、こんな記事、あんな記事、と構想し、終わりました。
なにより、育児に追われ、ナナとの時間が激減したこと、悔やみきれない思いと現実に悲しみが消えません。
2013年2月、娘が産まれました。
2016年2月、新居を構えました。
2016年9月、パートで仕事を始めました。
2016年9月、ナナの癌、自壊。
2017年11月、ナナ虹の橋を渡る。
更新しなかった5年間、家族皆おおむね元気でした。
【2013年~2015年】
娘の出産が帝王切開と決まり、2013年2月7日から25日まで19日間家を留守にしました。
26日、20日ぶりに帰宅。
赤ちゃんを抱いて戻ってきたわたしを見て、玄関先に迎えに来たナナがびっくりした顔をしたこと、今でも忘れられません。
赤ちゃんが泣く度ナナはびっくりし、家じゅうを駆け回っていました。
寝ている最中にも赤ちゃんが泣くと飛び起き、何事?!と駆け回り、ごめんねナナ~と謝る日々でした。
徐々に慣れてゆき、赤ちゃんが泣いてもナナがびっくりしなくなった頃、本当に安心しました。
騒がしいことにかわりありませんでしたが、やれやれ、と近くで丸まる姿。
育児に専念させてくれる感謝が日々ありました。
いつも、長い時間順番を待ってくれました。
子供が寝てから、ニャオ~と甘えてきて、おしりトントン。
それは、ナナ自身が死んでしまう直前まで一貫していました。
優しいお姉さん猫だったのです。
赤ちゃんからヨチヨチ、ハイハイ、タッチ、つたい歩き、ヨタヨタと走り回る娘になるまでの間に縮まっていく子供とナナの距離感は今も写真やビデオで眺めると楽しいです。
【2016年2月】
狭く古い賃貸住宅に子供に必要なものがあふれ、先々の将来を考えるようになり新居を構えました。
250mしか離れていない距離でしたが、お引っ越しでした。
ナナ13歳、ヒトでいったら68歳、相当なストレスだったでしょうね。
水分も食事もとる・・・でも2日間おしっこが出ませんでした。
3日間出なかったら病院にいかねば・・・と思った矢先トイレに行ってくれたナナ。
とてもほっとしました。
平屋の賃貸から階段のある一戸建てへのお引っ越し、ナナにはいい運動でした。
自分の居場所が徐々に増え、時々姿が消えました。
探しても探してもいない!
冷や汗と動悸が激しくなって、大きな声で探しまわりました。
まさか??
ウォークインクローゼットを開けると、しまった布団の上で丸まっていたナナ。
開けた時にするするとついて歩き、ナナに気づかずクローゼットを閉めてしまう。
今は、ナナがそこにいたら素敵だなって思います。
越してすぐ留守にしている間に無垢材のフローリングにリバースされたナナのご飯、沁み込みすでに手遅れ、あの時はほんとにがっくりしました・・・。
今は、その染みさえも消したくない。
夜の大運動会も運動場が広くなったので楽しかったようです。
朝起きると、フローリングに滑ってついた爪あと、踏み込んでダッシュした爪あと。
もちろん、今は、そこにナナを感じます。
引っ越し前に散々憂慮したのは、壁への爪トギ対策でしたが、まったく、壁に爪立てず、新調したカーテンへのよじ登りもなく、本当に孝行猫でした。
【2016年2月~4月】
引越し準備と娘の幼稚園入園準備で寝不足と過労で多形滲出性紅斑(たけいしんしゅつせいこうはん)という皮膚病に罹りました。
子供の風邪を内科で受診した際に医師から「お母さんは体調かわりない?」と何気なく聞かれたとき、湿疹が出ていますと告げ、症状を見せると、すぐ大学病院で検査して、今紹介状書くから明日朝一番で受診しなさいと急展開。
急激な悪化だった為大学病院で生体検査をし、2日間の経過観察を診断されました。
この2日間の間に粘膜系に症状が出たらスティーブンス・ジョンソン症候群であるかもしれないとの診断もついてしまいました。
重度のスティーブンス・ジョンソン症候群であった場合は死ぬかもしれません。
医師にそう告げられた時の絶望は今でも忘れられません。
子供のことがとても気がかりでした。
幸い、重症ではないが軽傷ではない状態で、多形滲出性紅斑でした。
全身に赤い湿疹が出て3カ月近く、非常に苦しみました。
治療薬を効かせる為に免疫を下げる投薬がありました。
体温が上がると痒く、疲れやすく、眠くてもなかなか熟睡できず。
一度発症すると毎年出る人、数年おきに出る人、出ない人様々らしく、春はひやひやします。
【2016年9月19日 ナナ癌自壊】
パートで働くことを決めてから3日後、帰宅すると二階の壁が赤く染まっていた。
見回すと、ナナが右肩を必死に舐めている、血で真っ赤でした。
もともと何年も前から、左わき下に腫瘍がありました。
病院で診てもらった時、切除可能だが、足のひきつれが起こるかもしれないリスク、切除しても再発のリスクがある、完治できるとは断言できないと言われていました。
そこでわたしは、治療しないことを選びました。
動物の寿命と、人の愛情の中のエゴを考えた時、看取る時が来たら受け入れようと思ったのです。
もし、内臓に腫瘍ができると悪性の癌だが、今はそうとは言えない、腫瘍のサイズの変化に注意し暮らすようにと説明され、何年も元気に暮らし、その左わき下の腫瘍もサイズ変わらずのままでした。
右肩の腫瘍に気づいた時はすでにかなり大きくなってからでした。
本当に情けない。
育児にいっぱいで、愛猫の体の変化に気づかなかったのです。
自壊させてしまうまで、自壊という言葉も知りませんでした。
舐め壊すとさらに症状が進み悪化すると知り、その場しのぎには育児中に使っていた腹巻をナナに巻いてもらい、その後はワンちゃん用の洋服に生理用ナプキンをあて、出血で染みないようにしました。
ペットにも使える洗浄剤を用意し、日に二回、洗浄とお着替えが習慣になりました。
調べたところ、癌が自壊した場合、余命は半年から一年とありました。
腫瘍が悪性であればそうであるほど余命は短いようなので、ナナの腫瘍はそうでなかったと言えます。
癌自壊から、1年2カ月頑張ってくれましたから、そう思いたいです。
とはいえ、腫瘍は膨らみ破裂、を繰り返していき、自壊創は大きくなっていきました。
臭いもしていきます。
加湿空気洗浄機を購入し、必要以上の来客をつくらないようにしました。
ナナ自身、本当に辛い時は、服の上からペロペロと繰り返し、中のナプキンを噛みちぎっている時もありました。
それ以外は本当に、辛抱強い猫でした。
気づいたら、半年が過ぎていました。
食欲も排泄も体型も、自壊以前と変わらず元気そのものです。
子供を寝かしつけ、わたしが何もすることがないように見えると、ニャオ~と傍に寄ってきます。
毎晩、ずっと何年も変わらずそうしてきました。
おしりトントン、何十分しても、飽きずにふたりで過ごす深夜がありました。
癌じゃないかもしれない、そのうちに、この自壊創は完治してしまうのではないか?
そんな希望さえ持ちました。
育児・仕事・ナナのお世話で、あっという間に一年。
自壊創は右肩から右わき腹まで広がっていました。
洗浄することと、舐め壊しをしない為の服とナプキンのおかげでしょうか、元気でした。
体型は、さすがに病気に影響され、たぷたぷのお腹は無くなっていましたが、走り回るし、食用も旺盛、排せつもまったく問題なし。
わたしの中では、一年を越した頃から、すこし介護疲れのようなものもありました。
半面、死ぬことを思うと、お世話が大変でも、臭いがきつくても、永遠にこのまま生きて一緒に暮らしていってほしいと願う気持ちも、どちらも同じくらいの気持ちで強くなっていきました。
また、仕事の休みが日曜と火曜であったため、もしその時がくるならば、日曜と火曜自分が自宅にいる時であってほしい、とか、ほんとにもうエゴとしかいいようがないのですが思っていました。
【2017年11月 旅立ち一週間ほど前】
気分転換にと、久々にナナ専用の密室と、窓や手だけ出せそうな隙間を作ったダンボールをリビングに置きました。
入ったきり出ません。
気にいったのかな?と夕食にしていた時、ダンボールの中で香箱座りしていたナナがブルブルと震え始めました。
暖房も入っているし室内は暖かです。
今まで見たことのないその震え方、声をかけても反応しません、はやる気持ちを抑え見守りました。
しばらくすると震えはおさまり、静かに目を閉じました。
腫瘍に痛みを感じれば、ペロペロと舐めていましたがこの時は身じろぎひとつせず、香箱座りで耐えていました。
その後は普段通り過ごしほっとしましたが、階段の上り下りが力なく頼りなくなってきました。
食欲も激減してしまいましたが、ペースト状のおやつはペロペロとよく舐めてくれました。
【2017年11月 旅立ち4、5日前】
排便が無くなりました。
ショックと共にこころの準備の時か・・・、と何度もトイレを確認しました、排便がまったくなくなったあと、一度だけ排便がありとても嬉しかったのを記憶しています。
あきらかに足元がフラフラし始めましたが、意識はしっかりしていました。
【2017年11月 旅立ち2、3日前】
ニャオ、と言えなくなりました。
力弱く、ナォー、ナォー、と言うのが精一杯です。
【2017年11月27日 旅立ち1日前】
階段の上り下りはしておりましたが、二階にあったナナのトイレをリビングにおろし、わたしだけ、リビングに布団をひきナナが気がねなくわたしの布団に入れるようにしました。
あんなに足がフラフラしていたのに、最期の晩、布団に入れろ~、と布団をカリカリしてくれました。
布団をもちあげ、足を大の字に開いてあげました。
ナナはわたしの膝の内側に寄りかかり眠ってくれました。
とても嬉しかったです。
朝、布団の縁に寄りかかり眠っていました。
【2017年11月28日 火曜日】
この日は仕事が休みでした。
子供はお弁当の日。
娘を幼稚園へ送ったあと、ご近所の方と下水工事のことで話をしていました。
だいぶ弱っていたので、できるだけ早く家に戻りたいと思っていましたが、あとになれば思うことで、その時は、今日がその時と思わず過ごしています。
娘を送ったのが9時過ぎ、ご近所の方と話して帰宅したのが、10時半。
帰宅し、黄色いクッションに丸まるナナを撫でました。
頭を撫で、そのままあごの下に手を回し、「大丈夫か~」と声を掛けました。
少し気持ち良さそうな顔をして、自分で顎の向きを変えたのを見て朝のお着替えをする為に服を準備しました。
準備が整い、洗浄し着替えさせましたがもうふらふらでした。
なんとか、着替えさせましたが、そこで立っていられなくなり、体を横にしてしまいました。
とっさにわたしはペーストのおやつをとりに走りました。
ナナは横たわって、既に口を開けて息が荒くなっていました。
でも、わたしはなぜか指にペーストおやつをとり、ナナの口に運ばずにはいられませんでした。
そしてしこたま指を噛まれました。
最期の馬鹿力が出たのかも知れません。
そのあと、1、2回舐めてくれるのがせいいっぱいでした。
美味しかったかな、おやつ。
声をかけ続けましたが、息の荒さがやみ、直後に失禁しました。
ああナナが死ぬっ!て思いました。
こんな時にでさえ、わたしはラグが汚れるのを気にしてタオルをとりに走ったり、なんて愚かだったことか。
2回目の失禁の後、ナナは旅立ってしまいました。
名前を呼んでもピクリともしない。
何度呼んでもこたえない。
まって、って言ったけど、ナナの瞳には最期に何が見えたでしょうか。
息の荒かった時間はほんの数秒だったと思います、1分あったかな、なかったかな、最期の苦しみはそう長くなかったと思います。
神様、ナナを見守ってくれた何か、ありがとう。
まさか、本当に仕事の休みの日に旅立つなんて、最期まで孝行猫過ぎて嬉しくて悲しくてなんだかよくわからない気持ちに今もあります。
息を引き取った後のナナはとても穏やかな顔をしていました。
ただぼーっと横たわっているだけのような、昼寝から目が覚めたような、穏やかな日常の顔でした。
たちあがって、ニャオ~と言いそうです。
今日お仕事休みでしょ?
甘えさせて~、って言いそうです。
子供のころから犬を飼う家に育ちました、猫もその後いました。
が、最期を看取ったのはナナが初めてです。
父の最期さえも看取れなかったので、死そのものが初めてです。
とても堪えます。
まだ、今もナナが使っていたハウスや爪トギ、そのまま置いてあります。
窓についたナナの鼻の跡も拭かずにそのまま残しています。
もういいかな、と思うその日までそのままにして暮らそうと思います。
しばらく猫は飼いません。
やはりかまってあげられる時間が少ないのはとてもかわいそうなことです。
突然考えが変わるかもしれませんが、今はナナの思い出と共に暮らしています。
また、縁がわたしとナナを結ぶ日まで、その日を楽しみに生きて行こうと思います。
ナナさん、旅立たれてしまったのですね。。
お嬢さんのそばで、そっと見守るナナさん、お母さんを見上げるナナさんのまなざしが、優しくてホントに愛おしいです。ちゃんとお母さんのお休みの日までがんばって、ちゃんとお別れをさせてくれた、その気づかいは、ナナさんの深い愛情と感謝の気持ちだったのでしょうね〜。孝行娘、亡くされた寂しさは、どれほど大きいか。。でも、ナナさんの魂は、いまもnanaさんの隣に、きっと寄り添っている。しばらくは想い出とともに、涙をこぼしてあげていて、いいのですよ。
by のらん (2018-01-15 08:03)
ナナちゃんのご冥福をお祈りいたします。
ナナちゃんよく頑張りました。
今は「いっぱいのごめん、いっぱいのありがとう」が
ナナちゃんへのお気持ちではないでしょうか
お辛いですがお力落としのないように・・・
by yhiga-siura (2018-01-15 08:39)
ナナさんが虹の端へ・・・
動画を拝見させていただきました。
いつも娘さんのそばにナナちゃんが!
優しい穏やかな目をしてとても幸せだったのだと
分かります!
saraと誕生日がほとんど一緒だったので
どうしているか気になっていました。
我が家もいまだにsaraが残した足跡は
拭けずに置いてあります。
ナナさんはとても幸せでしたね!
お空からご家族を見守ってくれていると思います。
ナナさんのご冥福をお祈り申し上げます。
by きぃ (2018-01-15 08:43)
久し振りの更新でオオ…と思ったら、そうですか。
ナナさんが旅立ってしまったのですね。
何時か来るとは分かっているお別れ、でもいざその時となると悲しみは大きいですよね!
写真を見させてもらいましたが、お嬢さんを見るナナさんの眼差しはお母さんみたい…。
ナナさん安らかに。
ところでナナママさんの体調も心配ですね、子育てに家事に仕事にとお忙しいようですが、ご自愛ください。
by hypo (2018-01-16 06:44)
ナナママさんお久しぶりです大丈夫ですか?
ビデオ見せて頂きました
文面を読んでいるうちに涙が止まらなくなりました
ナナちゃんはとても幸せだったと思います
可愛い妹を優しく見まもる事が出来てそして
最後の最期までナナママさんに見まもられて・・・
どう言葉にしていいのかわかりませんが
どんなに手を尽くしてもやはり後悔は残るのだと思います
ナナちゃんお空の上で宗太郎と奈々に会ったかしら
なんだか奈々を2度亡くしたような気持ちです
ナナちゃんに実際に会った事はないけれどでも
会えて嬉しかったですありがとうナナちゃん
そしてナナママさんとブログで知り合えて嬉しかったです
子育て大変な事もたくさんあると思います
お身体に気を付けてくださいね
ナナちゃんがお空で安らかでありますように・・・
by ななママ (2018-01-16 21:58)
絶句です・・・ナナちゃんが!
ただただ涙です…
ナナママさんの悲しみを思うと掛ける言葉が浮かびません。
ただ、少なくともご自分を責める事だけはしないで下さいね。ナナちゃんの幸せそうな様子からも、絶対に幸せな猫生だったと思っているはずですので。
陳腐な決まり文句は言いたくないので、後日メールさせて下さい。
本当にお知らせ下さってありがとうございました。
by ひでぷに (2018-01-16 22:27)
おはようございます。お久しぶりの更新が悲しいニュースでショックです。最後はママさんと一緒にいられたことが何よりよかったのではないでしょうか。安らかに眠って下さい。そして天国でご家族を見守ってね
by みぃにゃん (2018-01-17 07:54)
ナナちゃんの
ご冥福をお祈り申し上げます。
たくさん思い出をありがとうございます。
by 空楽 (2018-01-17 13:49)
ナナさんのご冥福をお祈りします。
ナナママさんも大変でした。
私も2014年にカナを看取りましたが、彼女は亡くなる寸前
幸せそうに溜息をつきました。
絶対、人間より短い命だと頭ではわかっていても、本当に悲しいです。
いろいろ大変そうですが、何卒お身体には十分お気を付け下さい。
by kontenten (2018-01-17 13:55)
ナナちゃんの冥福をお祈り致します。
とても悲しいです。
ナナママさん、どうぞ体調にお気をつけてくださいませ。
by すがめ (2018-01-17 21:11)
ずっと気にしていました。5年の間いろいろあったのですね。
ナナちゃん、の急なお知らせに泣けました。
うちも12月21日に送ったばかり。
悲しさわかります。
by OMOOMO (2018-01-18 08:13)
ご無沙汰しております。
ナナさん旅立たれたのですね。
どんな時も一緒に過ごして家族を見守ってくれた優しいナナさん。
どうぞ安らかに。
ご冥福を心からお祈りいたします。
by ゆきち (2018-01-18 17:43)
お久しぶりでした。ご無沙汰していた時間の経過の中にはお互い大切なものがいくつも織り込まれているんだなあと今更ながらに思い知りました。奈々ちゃんのっご冥福をお祈りしております。
私が描かせていただいた原画をもとに、今、いくつかに分けてスタンプを作っておりますが、それぞれのモデルさんに思い出があり、一つ一つ思い出しながら作業を続けさせていただいています。
by Mineosaurus (2018-01-18 22:17)
お悔やみのnice!を押させていただきました。
ナナちゃんのご冥福をお祈り致します。
ビデオ見ました。お顔いっぱいの楽しい表情してる
ナナちゃんを見てとても幸せだったんだなぁと思いました。
ブログ背景のナナちゃんもどれもとても楽しそう。
上手く言えませんが、ナナママさんやご一家が
いっぱい愛情そそいでくださったので
ナナちゃんもとても喜んでいると思います。
どうか肩を落とされないようにね。。
by すーさん (2018-01-19 00:45)
お久しぶりの更新で
落ち着かれたのかと思ったら
ナナちゃんは
いかれたのですね。きっと虹の橋の向こうでも元気にしてると思いますよ。
ビデオを見てたら家族の一員として
いいお姉さんをやってましたね。
また
戻って来てください。
by あーちゃ (2018-01-20 23:30)
ナナちゃん、ご冥福をお祈りします。
ビデオ拝見しました。ナナちゃん、久しぶりに見れて嬉しかったですが、とても残念です。ありがとうございました。
by ニコニコファイト (2018-02-06 15:54)
ナナちゃんのご冥福をお祈りします。
by ぴーすけ君 (2018-02-14 20:49)
お久しぶりです。
ナナちゃんのご冥福をお祈りします。
私は死後の世界とかあまり信じないですが、
死んでしまった身内や猫たちの面影が記憶の中にいつまでも残って、ふとした時に自分に影響を与えていると感じることがあります。それが魂がいつまでも残り共に生きるということなのでしょうか。
by みいみ (2018-06-07 07:22)
ご無沙汰しております。
遅くなりましたが、ナナちゃんのご冥福をお祈りします。
かわいい姿をみせてくれてありがとうございました。
by edi (2021-05-01 14:04)